日本の底力
2011年07月11日(月)
2011年07月11日(月)
3月11日14時46分、マグニチュード9.0の大地震が発生。夕方には自衛隊が被災地に入り、救援活動を始めた。その中に女性の姿があるのをご存じだろうか。今も、彼女たちは被災者一人一人に声をかけ続けている。震災から1ヵ月が過ぎた4月13日、私たちは被災地に入り、女性自衛官の救援活動に密着した。
撮影/嘉納愛夏 取材・文/川﨑利江子 構成/菅野知子
「コーンポタージュをどうぞ」「化粧水、自由に使ってくださいね」「彼氏って漁師なんだ、もう漁に出てるの? すごいね」
宮城県・石巻湾に停泊する輸送艦「くにさき」。船の中に設置されたお風呂にやって来た女子高生に明るく話しかけるのは、前川味加さんだ。音楽隊から志願して被災地にやって来た。
津波で家が流され、生活基盤のすべてを失った被災者のために、陸海空の自衛隊は給水、食事、入浴など生活支援を行っている。取材で訪れた4月中旬は、飲み水、食料、衣類、タオルなどの供給は安定し始めたが、水道やガスといったライフラインが断たれ、入浴や洗濯は難しい状況が続いていた。
「2週間近くお風呂に入ることができなかったという人も多いので、できるだけゆっくりと、楽しく過ごしていただけるように工夫しています」艦内は男湯と女湯の浴槽、シャワールーム、床には毛布が敷きつめられ、くつろげるスペースになっている。「浴槽は隊員みんなでつくったんですよ。パレットで組み立て、ビニールシートをかぶせて、お湯をはりました」
衝撃法による除細動試験
洗濯のサービスや携帯電話の充電、毛布や衣類、食料など生活必需品も持ち帰ることができる。「最初の頃、生理用品は自分たちで持ってきました。救援物資が届くのを待っていられないので」と自腹で用意したという。
お風呂上がりには「どんな状況ですか。水や電気はどうなっていますか」とたずねながら、今必要なものを探るのも大事な任務だ。〝話すこと〟は救援活動につながる。しかし、入隊1年目の海上自衛官、五十嵐妹子さん(19歳)は会話の難しさを実感している。
石巻市の石ノ森萬画館の対岸に設置されたお風呂でのことだ。
「被災者の方は明るく笑って話されるんです。どこの家が流されたとか、誰々が死んじゃったとか。思わず一緒に笑ってしまってハッとして、とても後悔しました。今は表情一つにも気をつけています」
4月19日からは岩手県大槌町、釜石市、陸前高田市などの避難所で、女性自衛官による〝お話伺い隊〟の活動が始まった。
陸上自衛隊第9師団に所属する、看護師やカウンセラーの資格をもった隊員が被災者の話を聞き、少しでも元気になってもらおうと、今も続いている。
被災者と直接話すという支援もあれば、それを後方で支える隊員もいる。
輸送機C‐130Hのパイロット、樋口美登里さんは、震災2日目には被災地に向けて飛び立った。救援物資を届けるためだ。「今まで運んだものは生活用品が中心です。水、おむつ、生理用品、歯ブラシ、パン、スリッパ、消毒液など。メニコンのコンタクトレンズも」震災後しばらくは物資が届かないという声も聞いた。「心が痛みますが、私は任務を遂行するだけです。
アメリカの肥満の人の割合
現地のニーズに合う物資が確実に届くように願っています」飛行場に到着した物資は指定された避難所に届けられるという。「福島第一原発の作業に向かう隊員を運んだこともありました」救援活動に必要なすべてを運び続ける。
樋口さんが降り立つ松島基地は、津波に襲われ、航空機の多くが水没する被害が出た。航空管制官の松浦琴美さんは「地震から約1時間後、津波が渦を巻くようにすごい勢いで襲ってきて怖かったですよ。みんなで屋上に逃げました。一夜明けて建物から出ると膝まで水に浸かる状態。水が完全に引いたのは13日です」と言う。基地内は流木、泥土、がれきで埋もれていた。
「スコップを担いで、みんなで急ピッチで片づけ、短い滑走路一本だけは使えるようにしたんです。でも管制塔が使えなくなったのはショックでしたね。移動式管制室が到着した時はほっとしました。これで輸送機が降ろせるな、被災者に救援物資が一気に届けられるなと嬉しかったですね」
「私も力になりたい」と思っている人は多いはず。でも、何をしたらいいのかわからない、すぐに被災地に行けるとも限らない。そこで、被災者も自分も元気になれる支援を展開する女性3人と、そのプロジェクトをご紹介。女性のチカラ、さまざまなかたち---。
化粧で被災地を元気にする
Coffret Project(コフレ・プロジェクト) 向田麻衣さん
「被災者のために化粧品をご提供いただけませんか?」向田さんのツイッターでの呼びかけがきっかけとなり、多くの化粧品会社の協力を得て、"化粧で元気にする"支援の輪が広がっている。彼女自身、仙台市出身だ。
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「叔父と叔母、祖母が津波の被害にあった石巻市に住んでいて、震災後2日間は誰とも連絡がつかなくなり、一時はもうだめかもと思いました。3月26日、初めて石巻市で炊き出しをした時、叔母が"ハンドクリームがほしい"と言ったんです。水が使えない状況で、肌がぼろぼろだって。最初はドラッグストアなどで買えるだけ化粧品を買って運ぼうとしました。でも、メーカーも化粧品を届けたいが、その手段や方法がないのだと気づいたことが始まりです」
呼びかけの結果、メーカー36社から連絡があり、化粧品は段ボール箱で約150箱に。4回にわたって被災地へ届けた。
絵を描くことで、傷ついた心をケアする
アマラントアートセラピースクール 小口みすずさん
「絵は心の鏡。絵を描くことで、今の心の状態を知り、不安の浄化や癒しになります」と言うのは、都内で20~40代女性を中心に講座を開く小口さん。震災後、津波や地震の絵を描く人が多かったという。
「自分に罪悪感を抱いている人が多くて驚きました。価値のない私が生き残っているとか、食べることや布団で寝ることも申し訳ないと思う。描いた絵を見て、自己否定しがちな自分に気づくと平常心に戻っていけます」
映画を通して自閉症の子どもたちを救う
クレストインターナショナル 鏑木知都世さん
ペアチケット代金の一部が自閉症の子どもたちへの寄付金になるというこの活動。「自閉症の子をもつ親たちが避難所で遠慮したり、迷惑がかかることを恐れて車中泊を続けている人も。寄付金は日本発達障害ネットワークを通じて、被災地で困っている自閉症児とその家族へのサポートにあてられます。あえてペア券にしたのは、人とつながることの幸せも感じられる映画なので、誰かを誘ってほしいと思ったからです」
フラウ2011.7月号 p.163~165 p.168より
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